02 June 2009
残念!
梅田望夫さんが、「日本のWebは『残念』」と発言 (日本のWebは「残念」梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia News) 。すると、はてな村民は一斉にはてブで反発していて皮肉な感じがする。この反応を読んで、梅田さんはさらに「残念」な想いを深めていそう。
一度コミュニティーを運営する立場になってしまうと、素直に意見を表明することが難しいのかもしれない。あまり正直になりすぎると、自分自身の首を締めることにもなりかねないし。そういった苦悩が感じられて、ITmediaのインタビューは読んでいてなんだか切ない。日本のネット空間の悪いところを問われた際の15秒間の沈黙の部分が特に。
そういった意味では、mixiの笠原社長の本音の意見を聞いてみたい。彼は実際今のmixiのコミュニティーに対して正直どう思ってるのだろう。やっぱり「残念」に思う部分もあるのだろうか。
こういったネット語りって、多分にオッサンホイホイなのかも。小田嶋隆が「マスクは結局、しなかった。」で言っているように、古参のネットユーザーほど自分達がカルチャーを築いてきたという「選民意識」があって、ネットに対して妙な理想を持っていて、自分の想いとは違った流れに対しては敏感に反応して、上から目線で評論してしまう。
まあ、でも考えてみれば、インターネットユーザーなんて特殊な存在は今や存在しなくて、ごく普通の人たちがたまたま道具として使っているだけなので、そこに特殊なカルチャーを期待しても仕方ないのかも。まあ、すぐに極論に傾きがちで、礼儀のかけらもなく、すぐに人の揚げ足をとるのに必死なこのネットの空気が、要は日本の現実社会ということなんだろう。
というこのエントリー自体がまた、オッサンのネット語りになってしまった…
10 May 2009
人生の指針?
最近のニュースや、いろいろな人のブログを眺めながら、僕には、自分の人生を変えたミュージシャンとか、苦しい時期にこの曲で救われた、というような経験が全然ないなあとつくづく思う。もちろん、音楽は好きだし、たぶん人生から切り離すことができないくらい重要なものだとは思うのだけれど、それが特定の誰かという対象にはむかっていないのかもしれない。
そういった、自分を託すことのできる人や物がある人生のほうが、やはり幸せなんだろうか。どうなんだろう。想像しかできないので、よくわからない。
逆に、いろいろな人から生きかたを託される人生って、結構大変そうだ。こちらも、もちろん想像しかできないけど。集団の期待に沿ったことをしていかないと、すぐに「裏切られた」とか言われてしまうのだろうか。
もし自分がそんな立場だったら、酒に酔った勢いで、全裸で公園で叫んでしまいそうだ。
08 May 2009
てときうに かいても よめみるたい
さいきん ねっとで わだいふとっうの
もじの じんゅばんが いれわかった ぶんょしう。
ためしに ぼくも さくいせして みました。
たんごの はじめと おわりの もじが あってれいば
じんゅばんを いれえかても ふうつに よてめしまう らいしのです。
ねっとで みつたけので まねしをて かいてみました。
けこっう てときうに かいても ぜんぜん だいょじうぶ みたい。
にんげんの のうって ほとんうに ふぎしなことが まだまだ たさくん ありますね。
そでれは また。
08 May 2009
模倣は悪か?
また日記更新の間があいてしまった。
一度サボり出すと、次に更新する際の内容は面白くないとと思ってしまう。そうすると更に更新のハードルが上がってしまい、ずるずると更新が滞るという悪循環。というわけで、これからは自分のなかで消化しきれていないことや、あんまり内容のないことも、そのまま書くことにする。公開されているとはいえ、所詮は自分の日記だし。ということで、今回はまだ自分でもうまく消化しきれてない考えを、そのまま書き連ねてみる。
最近いろいろ考えさせられたのは、中村勇吾さんの日記にあった、coding 2006というエントリー。気持はわからないではないが、うーん、なんだかちょっと違和感。
さすがにそのままパクるのは良くないが、あるブレークスルーとなった表現から派生していろいろなクローンが生まれてくるのも、まあ当然のことなんじゃないだろうか。別にAS3のソースコードをそのままコピーしたわけではなく、表現を模倣しているだけなのだし。そもそもアルゴリズムを用いた「かつての素朴なプログラミングアート」に「作家性」なんてあるのだろうか?
Flashを使った表現のほとんどは、過去の巨大な遺産の上に成立している。例えば画面上をクリックしたら反応するという基本的なインタラクションだって、過去の偉大な発明からの流用だ。プログラムを用いた表現のどこからどこまでが自分のオリジナルなのかって、難しい問題だと思う。
なんだか、構造としては音楽のどこまでが「パクり」なのか、という疑問に似ているのかも。作曲家は、天から降ってくるように無の状態から音楽を作ってるわけではない。極論してしまえば、ほとんどのヒット曲は西洋和声の構造の伝統の上にちょっとだけオリジナリティーをつけ足しただけじゃないか、という考え。
個人的には、プログラミングアートの世界は「作家性」とか「オリジナリティー」といったことを声高に主張しあう排他的な世界より、ニコニコしながら作者に報告する文化のほうが、健全でいいんじゃないかと思うし、今後もそうあってほしいと思う。
25 April 2009
事件の反応
草彅くんのことは敢て書くまいと思っていたが、誘惑に負けて書く。
ここ数日のニュースを見ていて、草彅くんに寛容な態度を見せる人は、きっと自分も酒で後悔した経験があるんじゃないかと思った。たから、もちろん僕も容認派。逆に好感度が増したくらい。
今回、いままでのイメージとは別の顔を見せたことで、別なファン層が拡がったんじゃないだろうか。長期的に見たらいい転換点になったのかもしれない。ずっと完璧な「いいひと」でいるのは、やっぱり辛い。
ただ、こうしたどうでもいいニュースがNHKのトップニュースになってしまうのは、どうなんだろう。やっぱり、報道とワイドショーは棲み分けたほうがいいと思う。個人的には、娯楽に徹したワイドショーは、それはそれで嫌いじゃないし。でも、真面目な報道のフリをしてワイドショー的なことをやられると、なんだか醒める。最近大幅に改編したTBSのゴールデンタイムの「報道番組」も、なんだかなあという感じ。じゃあ見なきゃいいんだけど。
一連の騒動の中で一番秀逸だと思ったのは、このエントリー。草なぎ剛さん量的緩和事件に対する識者の反応(まとめ)一部追記あり - 服従するが果たさない。
どの発言も天才的。こんな素敵な文章を書けるようになりたい。
