人生の指針?

最近のニュースや、いろいろな人のブログを眺めながら、僕には、自分の人生を変えたミュージシャンとか、苦しい時期にこの曲で救われた、というような経験が全然ないなあとつくづく思う。もちろん、音楽は好きだし、たぶん人生から切り離すことができないくらい重要なものだとは思うのだけれど、それが特定の誰かという対象にはむかっていないのかもしれない。

そういった、自分を託すことのできる人や物がある人生のほうが、やはり幸せなんだろうか。どうなんだろう。想像しかできないので、よくわからない。

逆に、いろいろな人から生きかたを託される人生って、結構大変そうだ。こちらも、もちろん想像しかできないけど。集団の期待に沿ったことをしていかないと、すぐに「裏切られた」とか言われてしまうのだろうか。

もし自分がそんな立場だったら、酒に酔った勢いで、全裸で公園で叫んでしまいそうだ。

てときうに かいても よめみるたい

さいきん ねっとで わだいふとっうの
もじの じんゅばんが いれわかった ぶんょしう。
ためしに ぼくも さくいせして みました。

たんごの はじめと おわりの もじが あってれいば
じんゅばんを いれえかても ふうつに よてめしまう らいしのです。
ねっとで みつたけので まねしをて かいてみました。

けこっう てときうに かいても ぜんぜん だいょじうぶ みたい。
にんげんの のうって ほとんうに ふぎしなことが まだまだ たさくん ありますね。

そでれは また。

模倣は悪か?

また日記更新の間があいてしまった。

一度サボり出すと、次に更新する際の内容は面白くないとと思ってしまう。そうすると更に更新のハードルが上がってしまい、ずるずると更新が滞るという悪循環。というわけで、これからは自分のなかで消化しきれていないことや、あんまり内容のないことも、そのまま書くことにする。公開されているとはいえ、所詮は自分の日記だし。ということで、今回はまだ自分でもうまく消化しきれてない考えを、そのまま書き連ねてみる。

最近いろいろ考えさせられたのは、中村勇吾さんの日記にあった、coding 2006というエントリー。気持はわからないではないが、うーん、なんだかちょっと違和感。

さすがにそのままパクるのは良くないが、あるブレークスルーとなった表現から派生していろいろなクローンが生まれてくるのも、まあ当然のことなんじゃないだろうか。別にAS3のソースコードをそのままコピーしたわけではなく、表現を模倣しているだけなのだし。そもそもアルゴリズムを用いた「かつての素朴なプログラミングアート」に「作家性」なんてあるのだろうか?

Flashを使った表現のほとんどは、過去の巨大な遺産の上に成立している。例えば画面上をクリックしたら反応するという基本的なインタラクションだって、過去の偉大な発明からの流用だ。プログラムを用いた表現のどこからどこまでが自分のオリジナルなのかって、難しい問題だと思う。

なんだか、構造としては音楽のどこまでが「パクり」なのか、という疑問に似ているのかも。作曲家は、天から降ってくるように無の状態から音楽を作ってるわけではない。極論してしまえば、ほとんどのヒット曲は西洋和声の構造の伝統の上にちょっとだけオリジナリティーをつけ足しただけじゃないか、という考え。

個人的には、プログラミングアートの世界は「作家性」とか「オリジナリティー」といったことを声高に主張しあう排他的な世界より、ニコニコしながら作者に報告する文化のほうが、健全でいいんじゃないかと思うし、今後もそうあってほしいと思う。